Site Overlay

酔眼朦朧、酔話転々

「だいたいヴィクトルはぁ、ぜぇんぜん、わかっとらんばい」
「うん? なに、勇利」
勇利は右手に掲げたグラスをぐいっと干して、タァンとテーブルに打ち付けた。
ヴィクトルはそんな勇利をにこにこと眺めている。
マッカチンは騒々しいのはごめんとばかり、リビングの隅でお気に入りのクッションにもたれている。
「ヴィクトルはぁ、ヴィクトル・ニキフォロフの凄さについてぜんっぜん! わかってない!」
「えー? そんなに凄いのぉ? ヴィクトル・ニキフォロフって」
ヴィクトルは勇利のグラスに酒を注ぎながら、今日はペースが速いな、と思っていた。
何かストレスのたまることでもあったかな? たまの飲酒で発散できるならそれに越したことはないけど。何より、酔っぱらった勇利は可愛い。
可愛い酔っ払いにクダを巻かれながらヴィクトルは上機嫌だった。
「凄いッ!」
勇利は酔眼でヴィクトルを睨み据える。
「世界ジュニアで歴代最高得点を叩き出したかと思ったら、シニアデビューしてユーロで優勝! 立て続けにグランプリファイナルと世界選手権で五連覇! スケーティングの芸術性と技術に裏打ちされた表現力! プログラムのコンセプトはもちろん、音楽や衣装にもこだわって観客を驚かせ続けてる! 見るたび新しい! 凄すぎるッ!」
勇利はつらつらーっと語っているつもりだが酔っ払いの悲しさ、ろれつが回っていなくてヴィクトルには半分ぐらいしか聞き取れなかった。
「そうなんだ。でも、大したことないよ。だってグランプリファイナルと世界選手権で五連覇は俺でもできたもん」
「違うッ! ぜーんぜん違うからッ!」
「えー? 何がどう違うのぉ?」
「ヴィクトル・ニキフォロフはぁ! カッコいいッ!」
勇利はくう~っと顔をしかめるようにしながら歯を食いしばった。そうしないとヴィクトル・ニキフォロフのカッコよさに耐えられないのだ。
「彼が世間から何ていわれてるか知ってる? リビングレジェンドだよ、リビングレジェンド! 生ける伝説! 生きてるのに伝説! わかる!? 生きてるうちから伝説作れる人なんてそうはいないよ!? 彼がカッコよくなかったら一体この世の誰がカッコいいっていうのさ!」
「うーん、クリスとか?」
「クリスはねえ、セクシーなの! ヴィクトル・ニキフォロフとは違うの!」
「違うんだ? じゃあ、ヴィクトル・ニキフォロフってセクシーじゃないの?」
「ほら、わかってない。出ーたーよー、わかってないよ、この人。あのねえ!」
ビシッとヴィクトルの眼前に人差し指を突きつけ、勇利はわめいた。
「クリスとはセクシーさの質が違うの! クリスのセクシーさがどろっどろに溶かすタイプなら、ヴィクトル・ニキフォロフのセクシーさは硬質なの、どこかにクールさが秘められてるの、Yes, so cool! ヴィクトル・ニキフォロフのセクシーさはねえ、思わずひれ伏したくなるセクシーさなの、わかる!?」
「うーん、俺は勝生勇利のセクシーさの方が好きだなあ」
『愛について~エロス~』を初お披露目したときの勇利を思い出しながらヴィクトルは遠い目をした。
不慣れな性愛表現に困惑しつつも精一杯取り組み、全力で俺を誘惑しようとする勇利は魅力的だった……。
ところが、勇利はその意見にはご不満らしい。
「あーんなの! なってないよ、全然ダメ。ヴィクトル・ニキフォロフの足下にも及ばないよ」
「セクシーさの質が違うんだからいいじゃないか。俺はあの清潔なエロス、好きだなあ」
「何いってんの。清潔なエロスなんて矛盾の塊じゃん。どこかに嘘があるからエロスを演じ切れてないんだよ。未熟なの、未熟!」
「未熟な果実にも味わうべき点はあると思うよ」
すると勇利はいかにも幻滅しましたといわんばかりに体を引いた。
「ヴィクトル、ロリコンなの? だから僕みたいな、つるぺたの胸でも平気なの?」
「つるぺたでも平気なのは勇利の胸だからだよ。それと俺はロリコンじゃないからね」
「じゃあヴィクトルは巨乳好きなんだ」
「大きすぎるのは好きじゃないかな。ほどよいのがいいと思うよ」
「ほどよいってどのくらい?」
「うーん、その人によるからなあ」
「そうなの? 体のいい逃げ口上じゃなくて?」
「たとえば、痩せてる女性のCカップと、ふくよかな女性のCカップとでは受ける印象が違うと思わない? 背の高さとかでも印象は変わるよね」
「えー? えー、えー、うーん、そうかなあ……うーん、そうかも」
「その人が一番美しく見える大きさがほどよい大きさなんだと思うよ。アンバランスなのはあんまり好きじゃないってこと」
勇利は、ふーん、とか、うーん、とか唸っている。酔っ払いの思考が今度はどこに転がるのか、ヴィクトルは楽しみで仕方ない。ハセツに初めて赴いたときは、とてもこんな会話ができる関係になれるとは思わなかった。前年のバンケットでの印象とあまりに違うのでものすごく困惑したっけ。
「ヴィクトルは、アンバランスなのが嫌いなの?」
「嫌いとまではいわないよ。でも、バランスが取れてるものの方が好きかな」
「じゃあ、清潔なエロスが好きなのはおかしいだろ。アンバランス極まりないじゃん」
そうきたか……とヴィクトルは内心唸った。さて、なんていおうか。
「確かにバランスは悪いかもしれないね」
「ほら。やっぱりヴィクトルはわかってないんだよ」
「でも、俺は驚かされたよ。今までエロスといえばクリスのような感じのしか想像したことがなかったからね。水の妖精に誘惑されてるみたい……といえばわかるかな? とてもクリアなのに、セクシーさを感じさせるんだ。そんな複雑なエロスを見せてくれるとは思ってなかったから驚いたよ。観客を驚かせるという意味では、満点だと思うよ」
「妖精、見たことあるの?」
「ないよ。勇利は?」
「僕もない。なんだー、ヴィクトルも見たことないのかー」
心底がっかりしているようなので興味がわいたヴィクトルはもう少しこの話題に突っ込んでみることにした。
「どうしてそんなにがっかりしてるの? 妖精、見てた方がよかった?」
「だってさー……」
勇利は唇を尖らせた。キスの時でさえ、こんな唇はしないのに、と思うと今すぐ唇を奪ってやりたくなった。
「だって、ヴィクトル・ニキフォロフは妖精の王様自身か、でなきゃ妖精に力を授けられたか、したんじゃないかなーって思ってたから」
「そんな風に見えるの?」
「だって、リラの精やったときなんて〝本物来ちゃった!〟って思ったもん。やばかー、本物の妖精が滑っとるばい!って優ちゃんと盛り上がってさあ」
「ユウちゃん?」
「優子さん。アイスキャッスルの」
「ああ、ユウコか。──で? そんなに本物っぽかった?」
「そりゃもう!」
勇利は目をキラッキラさせている。ヴィクトルは過去の自分に少し嫉妬した。
「あの神秘的な美しさ! 流れる髪が銀の粉を撒いてるようで、リンク中を魔法にかけようとしてるとしか思えなかったよ! いや、実際かかってたね、あのときリンクにいた人はもちろん、テレビを通して見た僕みたいな一介のスケーターにまで!」
「眠くなる魔法を?」
「もう! ヴィクトルってば何でわかんないの!? あのときヴィクトル・ニキフォロフがかけたのは美の魔法! 世界中を虜にする美の魔法だよ!」
「それってリラの精としては失格なんじゃないかなあ」
「だーかーらー! 美しすぎて目を奪われて眠ってるヒマがなかったの! 常識で考えたらわかるでしょ!?」
「常識って難しいね……」
しみじみ呟いてグラスを口に運ぶ。勇利は、論破してやった、とばかりに鼻息を荒くしていて、あのバンケットで「Be my coach!」と自分を口説いた勇利を思い出させた。
「でもさ、妖精に力を授けられてたとして、それじゃあ、ヴィクトル・ニキフォロフの伝説は妖精の力によるもので、自力で成し遂げたものではなかったってことになるんじゃない?」
「は? 何いってんの、ヴィクトル」
狂人を見るような顔をされてヴィクトルは少し傷ついた。
「妖精が祝福を与えるのはそれなりの理由があるんだよ? 凡人を祝福したってしょうがないでしょ。ヴィクトル・ニキフォロフは妖精に祝福されて力を授けられるに足る実力と美貌を兼ね備えていたってことでしょうが。なんでこんな簡単なことがわかんないの?」
「だって妖精、見たことないもん」
「そうなんだよねえ。おっかしいなあ」
勇利はしきりに首を捻っている。それから、酔っ払いの脳内で何かがハマったらしく、手と手を打ち合わせた。
「そうだよ、見たことなくても当たり前なんだよ。だって自分自身が妖精の王様かなんかなんだから、鏡を見たって自分が映ってるなーってしか思わなかったんだよ!」
「えー、俺、妖精なの?」
「ヴィクトル・ニキフォロフが妖精なの」
「じゃあ、俺は?」
「ヴィクトルはヴィクトルでしょ」
きょとんとして勇利は答えた。小首をかしげる様がまた可愛くてヴィクトルは奥歯を噛みしめた。
「俺とヴィクトル・ニキフォロフは違う人なの?」
「違う人だよ」
「えー、そーだったんだー」
棒読みで相づちを打つと、勇利は腕組をして困ったものだといいたげに首を振った。
「そうだよ、知らなかったの? これだからヴィクトルは」
「じゃあ、わかんなくても仕方ないよね。だって違う人なんだもん」
「ダメ! ヴィクトル・ニキフォロフの凄さは全世界の人が知っていて然るべき! 今、決めました。おいが法律や。逆らうことは許さんばい!」
いよいよ意気揚がる酔っ払いにヴィクトルは苦笑した。
「後半、日本語でわかんなかったよ、勇利。でも、ヴィクトル・ニキフォロフの凄さはさっきの説明でよくわかったよ。凄い人なんだねえ」
「そうばい……ヴィクトル・ニキフォロフはぁ、凄か人なんばい……」
日本語でしみじみと呟く勇利のグラスをヴィクトルはそっと脇にのけた。もうそろそろ酒は終わりにした方がいい。
「何ていったの? 勇利」
「ヴィクトル・ニキフォロフはぁ、凄い人なんですッ! て、いったの!」
「そっかー。ねえねえ、じゃあ、俺は? これでもグランプリファイナルと世界選手権で五連覇してるんだよ、凄くない?」
「うん……ヴィクトルも凄い……」
可愛い酔っ払いはとろんとした目でヴィクトルを見つめる。閨でしかお目にかかれない目つきを明るい電灯の下で見せつけられて、腹の底が重くなった。
「どんな風に凄い? 教えてよ」
「ヴィクトルはねえ、ヴィクトルは……優しいの。すーっごい優しい。大好き」
「ほんと? 大好き?」
「うん。大好き。後ねえ、何より凄いのはねえ、僕を好きだって所だよ」
「ええ? そうなの?」
「そうだよ? だって、ヴィクトルみたいにカッコよくて優しくてスケートもめちゃめちゃ上手い人だったら、どんな美人だって選び放題じゃん。なのに、なんでか僕のこと好きになってくれちゃって……ねえ、僕、夢見てるのかなあ?」
「夢じゃないよ。俺も勇利のこと大好きだもん」
「そっかー」
二人して、えへへ、と笑いあう。端から見たらどんな光景なんだろうと考えると、マッカチンが口の堅い犬でよかったとヴィクトルは思った。
「ねえ、勇利。俺は勇利のこと愛してるけど、勇利は?」
「えー? それ聞いちゃうー?」
「聞きたいなあ。聞かせてよ」
「えーっとねえ、あのねえ、あのねえ……おいも愛しとーばいッ!」
恥じらう乙女のように勇利は顔を覆ったけれど、肝心なところが日本語だったのでヴィクトルにはいまいち伝わりきれなかった。もちろん、勇利の反応を見れば愛してるといってくれたことはわかる。わかるが、ここは是非英語でもいってほしい。なんならロシア語でも。
「勇利は大分ロシア語上達したけど、ロシア語で愛してるってどういうか知ってる?」
「知ってるよー」
「いってみて?」
「えー、やだ」
「なんで」
「ヴィクトル、目が怖いよ」
「何でいいたくないの」
「だって、発音下手なんだもん。恥ずかしいよ」
「なんだ、そんなこと……。勇利、語学学習はね、とにかく使わないと上達しないんだよ。さ、いってご覧?」
「笑わない?」
「笑わないよ」
「絶対?」
「絶対」
勇利はしばしためらって、それから意を決したようにキッと表情を改めた。
「えーと……や、ちぇびゃー、りゅぶりゅー……?」
その舌っ足らずな愛の言葉と、キリリとした表情のギャップにヴィクトルは撃沈した。決めた。今日は抱く。絶対抱く。もう泣くまで抱く。
「Спасибо, я тоже тебя люблю.」
「ヴィクトル、スパシーバしかわかんなかった。何ていったの?」
「俺も愛してるよっていったんだよ」
「そっかー。えへへ、嬉しいなあ」
「俺も嬉しいよ、勇利」
何せ素面の勇利はそっけない。恋人になったからには日常的に愛の言葉を交わすのが当然だと思っていたヴィクトルにとっては衝撃の塩対応なのだ。だから、こんなめったにないチャンスは逃してはならないのだ。
「さ、そろそろオヒラキにしてもう寝よう。眠いだろう? 勇利も」
「うん……でも片付けないと」
「明日の朝でいいよ。ハウスキーパーが来る前に二人でささっと片付けちゃおう」
「うん」
ヴィクトルは立ち上がって勇利に向かって両腕を差し伸べた。その腕にすがって勇利が立ち上がる。本音をいえば胸に飛び込んできてほしかったが、足下のおぼつかない酔っ払い相手では無理か、と思い直した。
腰に手を回すと、酒で熱くなった勇利の体温が直に感じられて年がいもなく胸がときめく。
よろよろ歩く勇利を支えながら、どうかコトの最中に眠り込まないでくれよ、とヴィックトルは祈った。

BACK

HOME

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

CAPTCHA


Copyright © 2024年 Menesis. All Rights Reserved. | SimClick by Catch Themes