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【サンプル】La Vie En Rose

最近、ヴィクトルがおかしい。
そりゃあ、ロシアの英雄、リビングレジェンドとしてただ憧れていた頃にくらべたら、おかしな所も今はいっぱい知ってるけど。
それにしたっておかしい。
何って距離感が。
「最近、ヴィクトル、距離感おかしいと思わない?」ってユリオに聞いたら、ゴキブリを見るような目で見られたあげく、「ケッ」って吐き捨てられた。何だよ、その反応。ムカツク。
それとも、僕の知らない間に何かおかしくなるような出来事があったんだろうか。


おかしい、おかしいっていってるけど、おかしかったのは僕の方だ。
信じられないけど僕は記憶をなくしていたらしい。
そんなバカなと思うけど時間は確実に数ヶ月進んでて、知らないうちに秋になろうとしている。
サンクトペテルブルクの夏を楽しみにしてたのに。白夜だって、慣れないとつらいとはいうけど一度は経験してみたい。赤い帆の船も見たかった。知らない間にみんな終わってた。
当然、スケートのカレンダーも進んでて、今年のグランプリシリーズのアサインはとっくに発表されてるし、みんなバカンスを終えてプログラム作りの最終段階に入ってる。
僕はといえば、これも知らないうちに今季は休養することに決定してて、なんとなく手持ち無沙汰というか、心理的にヒマっていうか……。
今からでも選手登録できないかと思ったけど、なんていうか、身体が少し重く感じる。左脚にほんの少し違和感。左腕は週イチでリハビリ中。……という身体の状態と向き合ったら、さすがに出場を主張するのは無理だと悟った。ヴィクトルにも、最後は泣き落としみたいに止められたし。

そう、ヴィクトルの話だった。

もともとパーソナルスペースの狭い人ではあったけど、最近はゼロか、どうかしたらマイナスにでもしようとしてるんじゃないかっていうぐらい、距離が近い。
ボディタッチは元から多めな人だったけど、最近は四六時中触れていたがる感じで、ソファに座る時に僕を自分の脚の間に座らせて抱え込もうとしてきたり、リンクで立ち話してると、僕にぴったりくっついてなんとなく相手を追い払うようなそぶりを見せたりと、いくらなんでもひどい。
おまけに、僕を女性みたいにエスコートしようとする。ドアというドアを開けてくれるのはもちろん、気づくと彼が車道側で僕が歩道側を歩いてるし、僕を着飾らせようとする悪いクセは悪化してるし、快復祝いにと連れ出されたレストランで椅子を引いてくれようとした時はさすがに引いた。
どうしちゃったんだよ!? と訴えたら「だって、勇利がまた事故にでも遭うんじゃないかって心配なんだよ。そのうち落ち着くから我慢してよ」と反論しにくい理由を述べてくる。
で、前述のとおりユリオに尋ねてみたら「ケッ」っていわれるし……。
記憶をなくしていた間の僕って、もしかしたらものすごく弱々しかったんだろうか?
そう思い当たってヤコフコーチやミラ、ギオルギーにも尋ねてみたけど、みんな一様に「そんなことはなかった。むしろ、慣れたらシオタイオウだとヴィクトルが嘆いていた」と聞かされて、何が何だかわからなくなった。
大事にされるのは、正直にいえば気分がいい。憧れ続けた人に大切に扱われて気分がよくならない人間がいたら教えてほしい。
でも、さすがに最近のヴィクトルはやりすぎ……というかエスカレートしすぎてる。
エスコートされてることに気づくたびに抗議しようとして目が合うと、あの綺麗な顔で美しく微笑まれて、ドギマギしてとっさに二の句が継げなくなるのも困りものだ。
とにかく何とかしてやめさせるか、ヴィクトルのいうようにいずれ落ち着くのだとしたら、さっさと落ち着いてもらわないと困る。
僕はともかく、ヴィクトルはリビングレジェンドと呼ばれる人だ。そんな人が、僕みたいなどこにでもいるスケーターを、お世辞にもイケてるとはいえない男をエスコートしてるなんて、ヴィクトルの沽券に関わるじゃないか。
そんなわけで、あの朝、記憶が戻って異変に気づいたあの朝から、僕はずっと頭を悩ませている。


※続きは同人誌「光のさして、たどる道の」に掲載しています。

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