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Mishap

「止めてくれませんか」
いつになく強い調子の五代の要求に、一条は軽く目を見張った。


「・・・なにを」
五代に「止めてくれ」と過去に要求されたことを思い返しながら、一条は思案げな顔になる。
例えばそれは、「無茶をしないでくれ」とか。
平気で食事を抜いてしまったりすることや四十時間以上一睡もしなかったりという、『健康』の二文字を忘れ果てた一条への気遣いからなされたものがほとんどで。
それらとて、本当に気遣わしげな、心細げな表情で切り出されてきたものだったから、今度のような強い調子で制止を乞われるようなことが急には思い当たらないのだった。
「悪いが、思い当たらない。なにか、君の意に添わないようなことを、したか?」
「ほら、それですよ!」
「だから、なにが」
それと言われても。今の自分の言葉のいったいどこに、五代の気に障るような文言があったのだろうかと一条は首をひねる。
「どうしてきみなんです?」
「なに?」
「だからっ、俺のこと、なんで『君』って呼ぶんですか」
「・・・なにか、問題があるか」
ようやく彼の言わんとしていることが理解できてほっとするが、何がそんなに気に障るのか、それだけはどう思いを巡らせても答えが見えてこない。
五代は焦れったげな顔になって、大ありです、と続けた。
「椿さんには『お前』っていうのに。長野で会ったお巡りさんにも『お前』って言ってたのに。なんで俺は『君』なんですか」
「・・・・・・」
言いたいことはよくわかった。わかったものの、それは一条の想像を絶する答えだった。
「・・・椿は高校時代からの腐れ縁だ。長野のお巡りさん、というと・・・亀山か?あいつはずっと俺にくっついて『一条さん一条さん』言っていたから」
「・・・椿さんは置いとくとしても。俺だってくっついてるじゃないですか。くっついて『一条さん一条さん』言ってますよ。なのになんで俺だけ『君』って呼ぶんですか」
「要するに、それが気に入らないのか?俺が君を『君』と呼ぶことが」
そうです、と珍しく眉間にしわを寄せて――-止めておけ、全然似合わないぞ、などと内心思っていることを一条はおくびにも出さなかった。これ以上事態を複雑化してどうする――-重々しく五代は頷いた。
「どうしてなんですか」
「・・・どうしてといわれてもな・・・。大体、なんでそんなことが気になる」
「そんなことじゃないでしょお!?」
食ってかかる勢いの五代に気圧されながらも、取りあえず先に言いたいことを言ってしまおうと、一条は口を開いた。
「呼び方なんかどうでもいいだろう。君をどう呼ぼうが・・・間違いなく彼らよりも君の方を、俺は大事に思っているつもりだ」
「それは、・・・わかってる、んですけど」
なら問題ないだろう、と澄ました顔をする一条を、五代はやや恨めしげな表情で―――それでも頬の赤みは隠しきれなかったが―――見つめ、ため息を吐いた。
「なんか、よそよそしいっていうか・・・他人行儀っていうか、まあ他人に間違いはないですけど、でも、なんか嫌なんです」
「なんか、と言われてもな・・・」
「だって、俺より・・・椿さんや長野のお巡りさんの方が、一条さんと近い感じがして・・・嫌なんだもん・・・」
二十五にもなって男が「もん」とは・・・、ああ、もういいか。こんなことは。
「だから、そんなことはないと言っただろう?」
「でもっ嫌なんですっ!」
「・・・駄々っ子だな、まるで」
なかば呆れたように漏らした一条に、五代はなお粘る。
「俺のことも、『お前』って呼んでください。『君』じゃなく」
「・・・・・・オマエ」
「そおっゆう、おざなりな言い方じゃなくてえっ、もっとちゃんとおっ」
「ちゃんと、と言われてもな・・・」
自然に呼べるシチュエーションでもない。無体な要求はしないで欲しいものだと一条は胸中で嘆息する。
そんな心の動きを敏感に察したのだろう、五代は作戦を変えて一条に迫る。
「―――じゃあ、聞きますけど。どうして俺のこと『君』って呼ぶのか教えてください」
原因がわかれば解決の目途も立つ、か?しかし、何故と言われてもな・・・。
普段、何気なく行っている所作の理由を問われることほど、人間、困るものはないもので。一条もその意味では御多分に漏れなかった。だが、問いを適当にあしらってしまうと、後々が心配でもある。
なんとか、五代を納得させ得る解答を導き出そうと一条は頭をひねった。
「―――ああ、もしかしたら」
「なんです?」
五代が身を乗り出してくる。
「―――君が、俺に対して敬語だからじゃないかと・・・」
思うんだが、と続けようとした一条を遮って、五代が抗議する。
「そんなのおかしいでしょ!?だって長野のお巡りさん、もんのすごい敬語だったじゃないですか、一条さんに!なのに俺だけどうして」
「亀山は部下だ」
「だけど」
「君は俺の部下じゃない。警察関係者でもない。一年近く離れているとはいえ同い年でもある」
「だったら!」
「君は俺に敬語を使い続ける。その君を『お前』と呼ぶのは目下扱いをしているようで気が進まん」
「そんなこと」
「俺こそ、聞きたいな。なぜ俺に敬語を使う?―――俺はそんなに威圧的な態度で君に接しているのか?」
「そんなことはありません」
「だったら、なぜだ」
攻守所を変え、今度は五代が口ごもる番だ。
「一条さんが・・・改まったしゃべり方するから・・・『君』って呼ぶから・・・」
「・・・鶏が先か、卵が先か、みたいな議論だな、これでは」
嘆息する一条に、五代は俯いてしまう。
そのまま、お互いの間に沈黙が落ちた。
五代は俯いたまま動かない。八の字に眉を下げた情けない表情で途方に暮れたその様子に、少々かわいそうになって、
「五代が敬語を止めてくれたら、俺も君を『お前』と呼ぶぞ?」
と助け舟を出すつもりで一条は呼びかけた。
五代はちら、と眼を上げて一条の顔を見たが―――また、顔を伏せてしまう。
「どうした?不服か?」
「・・・・・・」
「五代?」
これ以上の妥協策を思いつけなかった一条に、もはや打つ手は見出せず、ただ五代を見つめるほかなかった。
「・・・・もん」
「ん?」
「敬語、止めらんないもん!一条さんは、一条さんだから敬語なんだもん、止めらんないもん!」
「・・・五代」
まさに駄々っ子のような理不尽さで五代が叫ぶ。
「敬語、止めらんない・・・でも、『君』じゃなく、『お前』って呼んで欲しいんだもん・・・。椿さんや、長野のお巡りさんみたく・・・」
一瞬の激情は嘘のように五代の上を去り、再び意気消沈した面持ちでうなだれてしまう。
「大事に思ってくれてるのは、知ってます・・・でも、『君』って呼ばれると、ものすごく一条さんが遠い・・・」
「遠い?」
「・・・遠いです。こうして二人でいるときまで、一条さん、・・・刑事さんのままみたいで・・・遠い・・・」
刑事さんのまま。
少なからぬ衝撃が一条を見舞う。動揺を押し隠そうと、五代に手を伸べ、その腕をとって抱き寄せた。
逆らわず一条の腕の中に納まって、五代はぽつぽつと話しだす。
「・・・前、対等じゃないみたいで嫌だからって、敬語止めたらって・・・一条さん言いましたよね」
「・・・ああ」
「でも、刑事さんの一条さんとは・・・俺、対等になんてなれない・・・」
「・・・なぜ?」
「刑事さんの一条さん・・・、事件が起こるたびに飛び込んでいって、未確認と戦って、・・・凄いなって思います。・・・尊敬、みたいな感じで。でも・・・」
「でも?」
「尊敬、と好き、は違うでしょう?・・・俺、一条さんが好きです。刑事さんの一条さんは尊敬してます。好きな人とは対等でいたいけど・・・」
「―――もういい」
皆まで言うなと、一条が遮る。五代の頭を肩口にもたれさせて、髪を梳く。抱えた腕に力を込めた。
刑事さんのまま。
先ほどの五代の言葉が一条の中でこだまする。
対等でいたいと願った。対等であることを要求した。それが自然なことだと思ったから。
一条は、今日何度目かのため息を吐いた。
―――どうやら自分は。
「五代?」
「・・・はい」
まだ意気消沈したままの五代。「俺が遠い」と言った五代。尊敬と、好きと。
「仕事で会うときはこれまでどおり『君』と呼ぶ。だが、こうして・・・二人きりのときは『お前』と呼ぶ。―――それで、いいだろうか」
肩から身を起こした五代が大きく目を見開いて一条を凝視する。
「それで、構わなければ、約束する。き―――お前、が、それでいいなら」
まじまじと一条を見つめた後、五代はおずおずと尋ねた。
「・・・ほんとに?」
「約束する」
「いいの」
「ああ」
「ほんとのほんとに?」
「・・・あまりしつこいと、止めるぞ」
「やだ」
そう言って、嬉しげに目を細めると、五代は一条の首にしがみついた。
その背を撫で摩りながら、一条は自責の念にとらわれていた。
対等でいたいと願い、対等であることを要求した。要求しただけだ。自分から、歩み寄ることをせずに。
互いの距離が思うように埋まらない違和感を、彼に要求することで解消した気になっていた。
いつも一歩踏み出すのは、五代だったから。それをまるで当然のことのようにとらえて。
長々とため息を吐いた一条を見やって、五代は急に不安な顔をする。
「・・・もしかして、ムリ、させてますか、俺?」
「いや」
全然、と片頬を歪めてみせる。五代はその顔をじっと見つめ、嘘はないと判断したのか、ちょっと笑ってから、
「なんで急にその気になってくれたんです?」
と、笑顔はそのまま首を傾げて聞いてきた。
一条は、ぎこちなく笑って―――それでも五代の目には「とても綺麗」に映るのだが―――五代の背を抱きなおして、呟いた。
「―――罪滅ぼし、かな」
「―――ええ?」
「なんでもない。君は―――いや、お前は気にしなくていいよ」
一条がそう言うと、五代は―――少しだけ訝しげな顔をして、それからはにかむように笑んでみせたのだった。



「―――で?」
「いや、だからあ、敬語とまではいかなくとも、もうちょっと改まった言葉遣いになってくれると、一条さんも『お前』って呼ばなくなると思うんですよね、椿さんのこと」
「なんで俺が」
「や、だって、元はといえば、一条さんが椿さんを『お前』って呼んだのが発端だし」
「五代」
「はい?」
「今日は検死が1件もなかったから、俺のメスは血に飢えていてな」
「―――帰りまぁ~す・・・」


一条が、五代を『お前』と自然に呼べるようになるまで、実に半年以上の時を要し―――これについては、若干の変化は見られたものの、五代の敬語が一向に改まらなかったことも要因にあげられるのだが―――二人して、互いの言葉遣いを指摘しあっては笑いあうさまは、誰がどこから見ても熱愛期のはた迷惑なカップルでしかなく、主にその被害を被ったのは彼らの主治医であるところの俺であることを特筆しておく。
―――ろくなもんじゃねぇ。バカップルめが。

(2002.11.09)

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