「こんばんはぁ! ねねねねっ、一条さん、これ見てこれ!」
「────何だ? やってくるなり」
「早く早く来て! ここ座って、ここ!!」
玄関で迎えた一条の腕をすり抜けて、五代はさっさとリビングに突進すると、ソファに腰を下ろして傍らの座面をぽんぽん叩いた。
「・・・何なんだ、一体」
明日は久々の非番だ。今夜は五代片手に休日前夜を満喫しようと手ぐすね引いて待っていたのに、早々に出鼻をくじかれ、まったくもって面白くない。
それでも言われたとおり五代の傍らに腰を下ろす一条は、すっかり飼い慣らされてしまった元猟犬といった空気を醸し出していた。
「ねっこれ! 調べてみましょうよ! 一条さんと一緒に読みたくてここまで我慢してきたんです!」
「────誕生花? ・・・誕生石なら、俺でも聞いたことはあるが・・・」
「でしょ? 俺も誕生花は知らないから、お願いっ!てゆって桜子さんに借りてきちゃったんです」
桜子の研究室に差し入れを持っていったら、机の上にこの本があったのだ。
「────あれぇ。これ、占いの本だよね? 桜子さんが珍しいなぁ。どしたの?」
「うーん、衝動買いっていうの? 本屋さんで目が合っちゃったのよ。でも、買うんじゃなかったかなーって」
「え、どして?」
「・・・花言葉が悪すぎなんだもの。占いも、当たってなくもないからちょっとショックなのよね」
「桜子さんでもそういう女の子みたいなこと言うんだ。なんか意外だね」
そう評すると、眦を吊り上げた桜子が手にしていた分厚いファイルを五代の頭に叩きつけたのだ。
「────で、沢渡さんの花言葉は何だったんだ?」
五代の頭の天辺にできたたんこぶを摩ってやりながら一条が尋ねる。
「それがねぇ・・・『悪意』だったんですよ」
「・・・それは・・・、沢渡さんでなくともショックだろう。叩かれてもしょうがないな」
「むぅ。そりゃそうかも知んないけど・・・。一条さん、冷たい」
くく、と笑いを漏らすと、一条は五代を抱き寄せて頭の天辺にキスを落とした。そうして耳元で囁く。
「機嫌直せよ」
「・・・えへへ~。────ねね、俺たちのも調べてみましょうよ。一条さん、4月18日でしたよね? えーっと・・・」
返事も待たずにぱらぱらと頁を繰る五代を、一条は苦笑とともに見つめた。
「あった♪ んーっと、誕生花は『れんげ草』で、花言葉は・・・『感化』だってぇ!」
「・・・感化?」
一条が眉を顰めてページを覗き込む。
「花占いはぁ、『保守的。そして責任感の強い人』、おおっ当たってる! そんで、『恋人を喜ばせるようなテクニックは少ないかもしれません』、だって。・・・ぷぷぷ」
「・・・笑うな」
肩を震わせる五代を横目で睨めつけ、一条は憮然とソファにふんぞり返った。
「面白いなぁ、これ。でもって、『知的で、冷静な人というイメージがあなたにつきまとっています』、スゴイ、これも大当たりじゃん! それから、・・・『愛に溺れることは少ないほう』。えぇ~・・・」
「なにガッカリしてるんだ」
「だって、占いとはいえ、ちょっとヤだったんだもん。溺れてほしいな~、俺」
「────それで? もう終わりなのか?」
怪しくなりそうな雲行きを敏感に察知して、一条はさりげなく続きを促した。────本当はとうに興味は失せているのだが。
「あ。ううん、まだ続きが。んっと、『友達を増やし、人に感化されてこそ、自分の足らないところが見えてくるでしょう』だって。・・・これ、スゴイな~。スッゴイよく当たってる」
「・・・つまらん」
「なんで?」
きょとん、と小首を傾げる五代をじろ、と一睨みして一条は明後日の方を向いた。
「なんだか、素のままの俺にダメ出しされてる気分だ」
「え~? そんなことないですよぅ。責任感強いとか知的で冷静とか、褒め言葉も結構あるじゃないですかぁ」
「だが、素のままの俺は足らないところばかり、とも書いてあるじゃないか」
「・・・怒んないんでよぉ」
「怒ってなんかいない。お前だって、俺には感化が必要だと思ってるから、よく当たってると思うんだろう」
一条は憮然と言い放ち、胸前で腕を組んだ。身も知らぬ他人に己のプライベートな部分をことごとく言い当てられたようで気分が悪い。我ながら大人気ないとは思うし、これが八つ当たりだということは百も承知だが、気持ちの持って行き場がないのだ。
「・・・怒んないで下さい、てばぁ・・・」
「怒ってない。だが、否定しないんだな、お前。やっぱりそう思ってるんだろう」
「そんなぁ・・・」
ちら、と横目で様子を窺うと、五代は閉じた本を手に項垂れている。怒りは解きたいし、さりとて嘘はつけないし、といったところか。五代の背後に書き文字をつければ“しょぼ~ん”か、“きゅーん”という犬の鳴き声だろうなと、一条は思う。
────そろそろ、勘弁してやるか。
一条は腕を解くと、五代の肩を荒っぽく抱き寄せた。
「う、わ」
目をまん丸にして五代が見上げてくる。胸の奥からこみ上げてくる笑いを押し殺して一条は顰め面を作った。
「笑いすぎなんだ、お前は」
「・・・ごめんなさい・・・」
目を伏せ、しょぼくれるその様を見れば、抑えかねていた憤りなどあっという間に吹っ飛んでいってしまう。代わりに湧き上がって胸に満ちるのは────愛しさ。
「────悪いと思ってるのか?」
「・・・思ってます」
「それなら、な」
もう片方の手で五代の肩を掴んで正面に向き合わせ、ちょん、と鼻の頭にキスをした。
「え・・・」
「今日はまだ一度もキスしてない。・・・ちゃんと。だから、ホラ」
「あ、え、・・・ええ?」
呆然とする五代の、ハトが豆鉄砲を食らった、という表現の見本のような顔に、一条はとうとう堪えきれずに噴き出してしまった。
肩に顔を埋めて笑いに身を捩る一条の姿にしばし呆然とし、────五代は憤慨して叫んだ。
「ひっひどいっ! 俺が真剣に落ち込んでんのに、一条さんてば怒ってたの、ふりーっ!? うっわもう、信じらんねーっ!!」
途端に暴れだした五代を腕の中に捕まえて、一条は背中からソファに倒れこんだ。笑いの発作はまだ治まらない。うなじに顔を埋めてくすくす笑い続けていると、吐息をくすぐったがって五代が首をすくめた。
「はっなしてよ、もうっ!!」
頬を真っ赤に染めてじたばたするが、一条の腕にがっちり抱きとめられて身動きもままならない。
「ひっどいよ、一条さんてば! 俺、ホントにどうしよっかと思ってたのにっ!!」
それでもなお止まない一条の笑いに、五代が憤然と打ちかかる。
「うわ、痛、止めろって、五代っ。怒ってたのはホントだよ」
「笑いながら言っても説得力なーい!!」
「わかった、わかったから、ぶつなって。────よっ」
「うわ」
五代を抱きすくめたまま勢いよく体勢を入れ替え、その背をソファに押し付ける。そうしてほんのり染まったままの、頬骨の高くなったところをかぷ、と甘噛みした。
「うひゃっ。────ななななにすんですかっ! 俺、怒ってるんですからね!!」
「ああ。じゃあ、これで相子ということで」
「なにが相子だーっ!」
再びうなじに顔を埋めてくすくす笑い出した一条に、もはや処置ナシと、五代はぐったり身体の力を抜いた。
「ほんとにもう・・・。本気でどうしようって思ってたのにぃ・・・。ねぇ、聞いてる!?」
「────聞いてる。俺もどうしようかと思ったぞ」
「なにが?」
「五代が俺に目もくれずに本ばかり見てるから」
「・・・・・・・・・・・・え?・・・えーと・・・」
「もう飽きられたのかと悲しくなったぞ」
「・・・またからかう気?」
「からかってなんかいるものか」
肘をついて身体を起こすと、真上から五代の顔を覗き込んだ。真面目な顔を作ろうと思っているのだが、久々の逢瀬と、腕の中の五代への愛しさで、どうしても顔が緩んでしまう。
「・・・そんな顔で言われても説得力ないんだってば」
唇を尖らせて五代が呟く。その指が、一条の唇から顎へ、そして喉仏を伝って喉元の窪みに辿り着く。その微妙な感触に、一条の背が僅かに震えた。
「・・・嫌いか? こんな顔は」
答えの知れきった問いを放ちながら、一条は嫣然と微笑んだ。
「・・・・・・ばか」
予想したとおりの応えに一条は含み笑いを漏らし、それから五代の鼻の頭をぺろ、と舐めた。
「・・・そろそろ、キスして欲しいんだが」
「もう。・・・・・・お願いします、は?」
「お願いします」
「────うむ。よろしい」
額と額をくっつけて互いに目を見合わせた途端、二人同時に吹き出してひとしきり笑い合う。それから ゆっくりと唇が重なった。
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「・・・そんなに、気に入らなかった・・・?」
幾度目かのキスのあと、熱い吐息を零し合い、互いに微笑を刻んだままの唇に触れ合いながら、恋しい存在を腕の中に抱きとめる。待ち望んだ、満ち足りて、幸せな時間。
「ねぇってば」
「・・・うん? 占いか? そうだな・・・当たりすぎてるところが気に食わない」
「・・・桜子さんとおんなじこと言ってるぅ・・・」
くすくすと笑う五代の吐息がくすぐったい。
「感化、か・・・。確かに、随分と感化されたな・・・」
「え?」
「お前に、さ」
「俺?」
「うん」
「どんなこと・・・?」
「いっぱいある。・・・生活を楽しむこと、空の青さや木々の緑を愛しく思うこと、それから・・・」
「それから?」
「・・・大事なものがあってこそ・・・強くなれるということ。お前が傍にいてくれるから俺は強くなれる。これからも、もっと」
「・・・・・・」
「頬っぺた赤いぞ、五代」
「意地悪」
ぽこ、と一条の胸を一つ叩いて、五代は鼓動の音に耳を寄せた。胸に伏せたその髪を、一条の指が梳いていく。何度も、何度も。
────俺に感化された、だなんて。大真面目な顔で何てこと言うんだよ、この人ってば。・・・あぁ、あの占い、一つ間違ってる。だって俺、ものすごく喜んじゃってるもん。あ、でもこれはテクニックって言わないか。一条さんてば“素”で言ってるんだろうから・・・。
胸の奥から、綿のようにふわふわした、温かな想いが湧き上がって五代の全身を包み込む。幸せな、幸せな暖かさ。この腕の中でしか、感じることのできない恋人の温度。
「────そうだ」
「はい?」
「お前の誕生日はいつだ?」
「俺?────えっ、一条さん、俺の誕生日知らないんですか!?」
五代は慌てて一条の腕を振り解いて身を起こした。一条は、そんな五代を怪訝そうに見上げて、恐る恐るというように言った。
「・・・聞いたこと、あったか?」
「だって・・・だって、TRCSのマトリクス解除のパスワード、0318って」
「え?────いや、あれは去年TRCSの初走行実験の日を記念して入力した数字で・・・。そのあと、長野に異動になったから、変更されていたらどうしようかとヒヤヒヤしたが。────ってことはもしかして、3月18日なのか、お前の誕生日?」
────が~ん・・・。
くらくらと眩暈を感じ、五代はがっくりと一条の胸に突っ伏した。
────ぜ・・・前言撤回っ!! 全っ然、喜ばしてなんかくんない、この人ッ!!
訳もわからぬまま、大慌てで宥めにかかる一条の声も、今は五代の耳に遠く届かないのだった。
【蛇足】
「3月18日か・・・。どれ」
床下に落ちたままだった桜子の本を手に取り、ページを繰り始めた一条に、五代が台所から声を上げた。
「あっヤだ、人の誕生花、勝手に調べないでよぅ」
「なら、お前もここ来て座れよ。一緒に読めばいいだろ?」
「手、どけて」
「ん? お、と」
一条の膝の上に横座りに身を落ち着けて、急き立てる。
「早く早く。3月18日ですよ、3月の18っ!」
「わかったわかった。えー・・・と・・・」
3月18日。五代の誕生花は。
「「・・・アスパラガス・・・」」
うっかり涙が出るほど大笑いした一条は、その夜、一週間ぶりのえっちにおあずけをくらい、いたく落ち込む羽目になったのだった。
(2003.06.03)