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Out of the woods.

「ヴィクトル~、カードが届いてるよ~」
郵便物を仕分けしていた勇利から声が上がった。
「マッカチン、待て。…………よし」
老いの影がはっきりと感じ取れるようになったマッカチンが、しずしずと餌皿に顔を伏せて食べ始めるのを見届けて、立ち上がった。
「カード? むき出しで届いたのかい? 珍しいね」
「よく無事で届いたよね」
はい、と勇利から手渡されたカード。二つ折りで、内側には手のひらほどの大きさの、馬の蹄鉄。……を、模した薄い金属製の馬蹄がリボンで止められている。
「馬の蹄鉄? ……あ、ごめん」
横からのぞき込んでいた勇利が無作法を詫びた。カードをひっくり返して裏面に記された差出人を確認し、もう一度開いてメッセージを読む。勢いのある筆記体。これでは勇利にはまだ読めないだろう。
懐かしい名前だった。
つかのま、時間をさかのぼって、飽きるほどその名を呼んでいた頃に戻ったような気がした。
「……ヴィクトル?」
勇利がおずおずと声をかける。カードを凝視──実際には過去を見つめていたのだが──しているのを不審に思ったのだろう。
「……うん。懐かしい人から届いたなあって思ってたんだ」
「そうなんだ」
勇利がほっとしたように表情をやわらげた。
「でも、なんで馬の蹄鉄なんだろう?」
そうか、勇利は知らないのか。まあ、当然だろう、俺だって、差出人に教えられるまでは知らなかった。
「馬の蹄鉄はね、幸運をもたらすといわれてるんだよ」
「へえ~。じゃあ、幸運のお守りを贈ってくれたってこと?」
「そうなるね」
「よかったね。今シーズンの活躍を祈って、ってところかな」
「いや、そうじゃないみたいだ」
「?」
首をかしげる勇利に、読んでごらん、とカードを手渡した。
「え、いいの?」
「いいよ」
気になるんだろう、とは、いわずにおいた。
勇利はカードに視線を落とし、それから眉間にシワを寄せた。
「むう……これは……難しい」
謎解きを迫られた探偵のような顔でカードに顔を近づけている。その様子がおかしくて、けれど、機嫌を損ねないように必死で笑いを堪えた。
「ここは、〝あなたたち〟かな? それから……えーと……ポズ……? うーん、もしかして〝おめでとう〟なのかな」
しばらく、うんうん唸っていたが、やがて、ふーっと長い息を吐いて、「降参」とカードを閉じて寄越した。
「まだ筆記体は読み解けないや。結構読めるようになったと思ってたんだけどなあ」
「まあ、彼女は結構な悪筆だからね」
「女の人なんだ?」
うなずいて、再びカードに目を落とした。
薄いステンレスかアルミ製の馬蹄。本物の馬蹄をグリーティングカードにするのはさすがに無理だと判断できたのだろう(判断するだけの理性を持ち合わせてくれていてよかった)。それにしても、幸運のお守りなら、ほかにいくらでもありそうなのに、自分の趣味を前面に押し出してくるあたり、やはり我の強い彼女らしいな、と記憶の中の面影に苦笑を送る。
振り回されることの多かった付き合いだったような気がするが、自分も大概、他人を振り回すタチなので衝突することも多かった。どうやって仲直りしたのか、仲直りせず分かれたのか、その辺はもう記憶があいまいだ。ただ、彼女のことを思い浮かべたとき、嫌な感情は出てこないから、まあまあ円満に分かれたのだろうと思う。
そんなことを考えるでもなく考えていると、ふと、勇利がこちらをじっと見つめているのに気がついた。
「……なに? 勇利」
「あ、いや。それで、結局なんて書いてあるのかな、って」
「ああ、そうか。答え合わせをしないとね。これはね──」

『あなたたちの活躍はテレビで見ているわ。金メダルで結婚って聞いたわよ! どっちの金メダルなのかしら? あなたが生涯の伴侶を得たこと、うれしく思うわ。本当におめでとう! 私も結婚してもうすぐ一児の母よ。幸せのお裾分けをするわね。それじゃ、これからも頑張ってね!』

「──て、書いてあるんだよ」
「……幸せのお裾分け、かあ……」
「馬蹄のね、丸い方を下に、開いている方を上にして飾っておくと幸運を招くといわれてるんだ」
これも、彼女からの受け売りだ。競馬好きの彼女に腕を引っ張られて、何度モスクワまで足を運んだことか。競馬場で本物の馬蹄を壁に飾れとプレゼントされそうになって必死にスルーした記憶がある。
「そうか……それで」
「え、なに?」
「うん。昔ね、本物の馬蹄をプレゼントされそうになったことがあったんだ。そのときは趣味じゃないんでスルーしたんだけど、今こうして贈ってくるぐらいだから、結構執念深く……ていうか、えーと、そう、強い意志があったんだなあって」
そういうと、勇利はうなずきかけて、それから、何かに気づいたように表情を消した。そのまま黙り込んでいる。
「勇利?」
「うん。……それだけ強くヴィクトルの幸せを願ってるんだね」
「え? ……ああ、まあ、そうなのかもしれないけど、彼女の場合は自分の趣味が半分、みたいなところがあるから、半々ぐらいじゃないかな」
「ふーん……」
そう生返事を返しただけで、あとは興味をなくしたように、勇利は自分の分の郵便物を持って席を立ってしまった。その姿に、かすかな不穏の気配を感じて、とっさに呼び止めた。
「勇利?」
「ん、なに?」
振り向いた顔はいつもの勇利で。そうなると言葉の接ぎ穂を失うのは古今東西男女を問わない。
「いや──」
「これ、置いてきたらすぐご飯にするから、待ってて」
「ああ、うん」
なんとなく、勇利の全身から〝話しかけるな〟というオーラが発せられているような気がして、口ごもっている間に彼はリビングを出て行ってしまった。
「うーん……何かまた斜めな方向に考え込んでないといいんだけど……」


それからというもの、勇利の口数がいつもより一割ほど少なくなり、代わりに、じっと見つめられることが増えた。
「なに?」と問うても、「なにが?」と問い返されて、それがまた真剣そのものというか、こちらがたじろぐほどの真顔なので、どうにも調子をつかめない。結果、「なんでもないよ」と引き下がるのは、いつもこちらで。
こんなことをしている間にも、彼の中に斜めな思考の結果が降り積もって山脈を築いているのではないかと思うと気が気ではない。バルセロナの二の舞はごめんだ。二度とごめんだ。
これは一度腹を据えて話し合いの場を持つべきだろう。
勇利には回りくどい表現では通じない。単刀直入に切り込むんだ。
そんなことを自室で考えていたところだった。ドアがノックされた。二回。この家で二回ノックするのは勇利だけ。(俺やハウスキーパーは三回。二回で止めることができない。二回で止めると居心地悪い)
「ヴィクトル、ちょっといい?」
「いいよ、なんだい?」
「フリーの振り付けのことで……」
そういいながら入ってきた勇利は、そこで言葉を切って室内に視線を走らせた。
「どうしたの?」
「あれ、飾ってないの?」
「あれってどれ?」
「この間届いた、あの……馬の」
「ああ、あれ」
机の上に、本などと一緒に立てかけておいたグリーティングカードを手に取った。
「飾らないの?」
勇利が重ねて問うてくる。
「んー、忘れてた。どうしようかな」
本物の馬蹄では飾るのにもなんとなく躊躇があるが、この、いわば模倣品なら心理的圧迫もないし、飾ってもいいかな、とは考えていた。
素直にそういうと、勇利はなんだか苦いものでも口に含んだかのような顔になった。
「……飾れば? せっかくなんだし」
「うん、まあ、勇利がそういうなら、後でね」
「今、飾りなよ。そうだな……そこの壁なんかいいんじゃないかな?」
そういいながら(多分、適当に)ドアの脇の壁を指さす勇利の、メガネの奥の目がつり上がっているように見える。
「いや、何も今でなくても。話があるんでしょ?」
「いいから、今、飾りなって」
「勇利? どうしたの? なにをムキになってるの」
「ムキになんかなってないよ!」
いや、なってるだろ……と思いながら、なかば呆然と勇利を見つめていた。確かに、勇利は頑固者だし強情なところもあるが、こんな風に、しかも一方的に語気を荒げることはあまりない。
何が彼をここまで苛立たせているんだ?
そう考えて、はた、と思い当たった。
ここ数日の勇利の態度。
ものいいたげな、あの視線は。
もしかしたら。
気をつけろ、ヴィクトル・ニキフォロフよ、ここで対応を間違えたらバルセロナの二の舞だぞ。
こころもち、しゃんと背を伸ばした。
「ねえ、勇利。どこに飾るか、まじめに考えたいから、ちょっと座ろうよ」
そういってソファを指し示し、自らすすんで座って見せた。「ね?」と小首をかしげて笑ってみせると、勇利はわずかにためらってから隣に腰を下ろした。
横顔だけ見ても、頬が固い。
「これを贈ってくれた人のこと、話したことあったっけ」
勇利の首がのろのろと左右に振られる。
「俺は成人したばかりでね、彼女は一つ年上。リンクの近くにあったコーヒーショップの店員だった」
今はもう潰れちゃってないんだけどね、と付け加えながら、あまり懐かしむ口調にならないように自分を戒める。
「競馬好きな人でね。何度もモスクワの競馬場まで引っ張って行かれた。大きなレースはほとんど欠かさず。練習やスケジュールに穴を開けて、よくヤコフにも叱られたよ。反面というか、スケートにはそれほど興味がなかった。だから、俺の応援に来てくれるとか、そういうことはあんまりなかった」
「ねえ、ヴィクトル。飾るところを話し合うんでしょ」
たまりかねたように勇利が口を挟んだ。
「うん、でも、聞いて」
お願い、と、目をじっと見つめる。こうすると、大概の要求は通ることを知っていてやるのだから、我ながら意地が悪いと思う。案の定というか、勇利はほんの少し頬を赤らめて、渋々うなずいた。
「ありがとう。──付き合い自体は短かった。俺は忘れっぽいし忙しいし、彼女はスケート選手の日常なんて興味ないし。すれ違ってる内に自然消滅したような気がする」
よく覚えてないんだけどね、と笑って見せた。
「だからね、勇利が俺を想ってくれてるのとは、全然レベルが違った。もう、なんか幼稚園児のお遊びみたいな感じで。付き合ってる相手がいることだけでうれしい……そういう気持ち、わかる?」
話の中にいきなり自分の名前を出されて、勇利はドギマギしているようだった。わかる? と尋ねても、反射的にうなずいただけのように見えた。
「付き合う相手がいるってだけでうれしかったから、キツい話し合いとか面倒な付き合い方とかもしなかった。その分、きれいな思い出だけが残ってる感じ。きれいだけど、全然奥行きのない、薄っぺらな」
「……そこまでいわなくても」
「でも、実際そうなんだ。きれいな思い出だけが残ってるから、思い出しても苦にならない。多分、彼女にとってもそうなんだと思う」
「……」
「俺の名前は、よくも悪くも、この国にいれば目にする機会が多いだろうからね。そこに指輪の件でマスコミが書き立てたから、嫌でも俺たちの事情が目に入っただろう」
右手をかざして指輪を見つめる。12月のバルセロナ、つらくて大きな出来事に記憶が占められているけれど、うれしいことだってちゃんとあったじゃないか。
「俺たちが不幸だったら、今、幸せな彼女にしてみれば、思い出を封印したくなったかもしれないけど、幸いにもそうじゃなかった。だから、自分の趣味半分、俺たちの幸せを祈るのが半分、って気持ちで贈ってよこしたんだと思う」
「……幸せのお裾分け、でしょ」
「じゃあ、1/3ずつ、かな」
勇利がやっと混ぜっ返しを入れてきた。少しは心がほぐれただろうか。
いや、油断は禁物。
「ごめんね、昔つきあってた人の話なんかして。でも、わかってほしかったんだ。俺は世界一モテる男なんていわれてるし、──まあ、それなりの数の恋愛もしてきたけど、今、勇利に対して想ってる気持ちと比べたら、天と地ほども違いがあるってこと」
一旦言葉を切って、勇利の右手を取って両手で包み込んだ。彼の右手にも、今も変わらず指輪が光る。それが安堵感をもたらしてくれた。
「勇利への想いとは比較にならない。彼女にとってもそうだと思う。自分の夫や生まれてくる子供への強い愛情があるから、おまけみたいな俺とのつきあいを思いだして懐かしむことができるんだ」
「おまけ、って」
勇利がほんのり笑った。それに気をよくして、さらに言葉を継いだ。ダメ押しだ。
「おまけだよ。特に、女の恋愛は上書き保存っていわれてるだろ? 終わった恋なんて、女にしてみれば、おまけ以外の何物でもないさ」
「いや……上書き保存って……そうなの?」
「そういわれてるし、いつまでも終わった恋を引きずるのは男の方が多いと思う。ギオルギーとか」
許せ、我がリンクメイトよ。今、我が家ではひっそり重大な局面を迎えてるんだ。幸せな生活のために名前を使わせてくれ。
ギオルギーの名を出した効果は抜群で、勇利は納得のいった表情になった。すごいな、あいつ。
胸の中で感心していたら、思わぬ方向から弾が飛んできた。
「ヴィクトルは引きずらないの?」
そう来たか。
「引きずらないっていうか、引きずるほどの恋愛はしてこなかったんだって今ならわかるよ。勇利に捨てられたら引きずりまくる自信はあるけど」
「何それ」
今度こそ勇利が笑った。目元の険が消え、いつもの穏やかな彼の笑みだ。
「だからね、勇利。もしも君があのカードのことで、なにか嫌な感情を抱いたとしたら、そんな必要はないんだってわかってほしいし、俺は誤解させたことを謝りたいと思う。届いたあの日に、ちゃんと説明すべきだったね。ごめん」
そういうと、勇利は恐縮したように肩を縮こまらせ、こちらの手の中から右手を引き抜いてしまった。そして胸の前で両手を振った。
「いや、ヴィクトルが謝ることないから。嫌な感情なんて、そんな……大丈夫だから」
「そう? 勇利が焼き餅焼いてくれたら、俺としてはちょっとうれしいけど」
「やっ、焼き餅なんて焼いてないから! そんなんじゃないし」
頬っぺたをピンク色にして必死に言い募る勇利は可愛かった。
「それでね、勇利。あのカードの馬蹄だけど、俺としては、飾ろうが飾るまいがほんとにどっちでもいいと思ってる。俺にとっては、ありがたいことには違いないけど、ファンから届いたプレゼントと、そう意味合いは変わらないから。でも、勇利が目障りに思うならしまっておこうと思う」
相手に判断を委ねるのは卑怯だろうか。卑怯となじられたら、やり方を変えよう。
勇利はつかのま考え込んだ。ちらりと上目でこちらの様子を窺い、また目を落として。幾度かそれを繰り返し、そして、おずおずと口を開いた。
「ぼく、は」
「うん」
「飾った方がいいと……思う」
もう一度勇利の手を取って、両手で包み込んだ。人種の違いか、少しだけ体温の低い勇利の手。
そして、できるだけそっと言葉を紡いだ。
「無理しなくていいんだよ」
すると勇利はかぶりを振った。
「そうじゃないんだ。見ると嫌な気がするとか、そういうことはないから」
「本当に?」
「うん」
「でも、ここのところ様子がおかしかっただろう? 何かを言いたげな感じに見えたけど」
「え、あ、あー……えっと、それは」
勇利は空いている方の手で頭をかいた。なんとなく決まり悪そうだ。視線をあちこちに泳がせている。
「それはー、そのー……文句をいいたいとか、そういうことじゃなくて」
「うん?」
「チャンスを窺ってたっていうか……」
「チャンス? なんの?」
本気でわからなくて首をかしげると、勇利は「あー」とか「うー」とか盛んに唸った後、長々とため息をついた。
「そのー、ね? カードを贈ってくれた昔の彼女さん? にね、ま……けない、ように……みたいな」
「まけない? 勝ち負けの、負け?」
「うん」
「待って。勇利が何を負けてるっていうの」
気色ばんで尋ねてしまったけれど、責めないでほしい。昔の恋人からの、幸運のお裾分けを見て、なぜ勝ち負けなんて発想に至るのかさっぱりわからず、これを放置したら斜め上空に突き抜けた思考で別れを切り出されるかもしれないと、一瞬の内に想像してゾッとしたのだ。
「勇利は何も負けてない。彼女以上に俺を想ってくれてるし、俺を目標にして何年も頑張ってきてくれたし、頑固者だけど俺にはやさしくあろうと努力してくれてるし、時々塩対応だけど、」
「そう、それ」
「うん!?」
「塩対応ってさ、いわれても……って思ってたけど、あのカードを見て、別れた後も気にかけるなんて、なんていい人だろうって思ったんだよね。で、自分を振り返って、ちょっと反省したっていうか」
塩対応を反省したというなら、これはいい傾向の話だと考えていいのだろうか。勇利のことだから、最後まで油断はならないが。
「なんか、ヴィクトルを想う気持ち? で、負けた気がして。それで……今の僕が彼女さん以上にできることが何かないかな、って思って……チャンスを狙ってた、感じ?」
そこで言葉を切った勇利はほんのりと頬を染めた。こちらはこちらで脱力しそうになりながら、やっぱり勇利の思考回路は一筋縄ではいかないなあ、なんて考えていた。
「あの馬の蹄鉄、飾っててくれたら、目に入るたびに自分を振り返ることができると思うんだよね。今、僕、すごい恵まれた生活してる。……させてもらってる。それにあぐらをかかないように、って」
そして勇利は、空いていた左手をそっとこちらの手に添えた。互いに両手を握り合うような形になった。
「ヴィクトルへの感謝を忘れないように。感謝の念って半減期が短いっていうし」
「……初めて聞いたけど、誰の言葉?」
「んー、何かで読んだんだと思うけど覚えてないや」
「そう。でも、そんな風に考えてくれてたなんて思いもしなかった。うれしいよ」
不安の占めていた胸が、今はあたたかなもので満たされている。昔の恋人への対抗意識を燃やしていたなんて、なんて可愛いんだろう。
ああ、頬を緩んでいるのが自分でもわかる。しまりのない顔をしていたら勇利に幻滅されるだろうか。でも、今だけは勘弁してほしい。
「それじゃあ、いっそリビングにでも飾ろうか?」
「いやー……それだとちょっとプレッシャーが。ヴィクトルの部屋にしてください」
時々目に入るぐらいがちょうどいいんで、と恥じらうように目を伏せて続けるものだから、もうこの可愛い生き物どうしてやろうかと思った。
「じゃあ……勇利がさっきいったようにドアの脇に掛けようか。部屋から出て行くときに、目に入るように」
「うん、それなら」
善は急げとばかりに立ち上がると、勇利は「押しピン取ってくる」と部屋から出て行った。その間にカードから馬蹄を取り外す。ほどなく戻ってきた勇利と、ここがいいかな、もっと上かな、などとやりとりしながら、二人で一緒に馬蹄を飾った。
「なんだかバルセロナを思い出した」
「え? 終わりにしようなんていってないのに?」
「指輪を嵌め合ったじゃないか。なんとなくそれを思い出したんだ。あと、その言葉、例え話でもいわないで」
眉間に力を込めていうと、勇利は肩をすくめて「はーい」といった。それを見て、やっぱりリビングに飾った方がいいんじゃないかと、ちらっと思った。
「すごいな」
「え?」
「幸せのお裾分けって効果があるんだなあと思って。これのおかげで勇利の気持ちを知ることができて、うれしかった」
「やだな、もう。何度もいわないでよ」
照れてそっぽを向く勇利はやっぱり可愛くて、初めこそ不安にさせられたが、こんなあたたかな気持ちにさせてくれた馬蹄に心からの感謝を捧げた。
そして、昔の恋人への対抗意識を燃やしていた勇利は、やっぱり焼き餅を焼いていたんじゃないか、と思い当たり、緩んだ頬に目尻まで下がって、だらしない顔になりながら、勇利をぎゅーっと抱きしめたのだった。

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